等身大の箱庭

おはようございます。よく寝られましたか?

2019/7/9

 寒いですね、我が家のお風呂も無事直って温水が出るようになりました。温水という文明に感謝することはこの先、当分なくていい経験です。嘘、温泉には感謝したいから毎日入らせてください。

いまさら翼といわれても (角川文庫)

いまさら翼といわれても』を読み終えました。「古典部シリーズ」の最新作です、発売自体は一ヶ月前でしたが見逃してて日曜日に買いました。

「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」夏休み初日、折木奉太郎にかかってきた〈古典部〉部員・伊原摩耶花からの電話。合唱祭の本番を前に、ソロパートを任されている千反田えるが姿を消したと言う。千反田は今、どんな思いでどこにいるのか――会場に駆けつけた奉太郎は推理を開始する。千反田の知られざる苦悩が垣間見える表題作ほか、〈古典部〉メンバーの過去と未来が垣間見える、瑞々しくもビターな全6篇。

紹介にも書かれているように「古典部」の部員に焦点を当てたのが本作です。読んでいて私が気になったというか好きなお話は「箱の中の欠落」「長い休日」「いまさら翼といわれても」です。ネタバレを含みますのでご承知おきくださいということで。

「箱の中の欠落」

 神山高校の生徒会選挙で起きた、生徒総数よりも多い投票総数というのが事の発端でした。あらすじをもっと詳しく書きたいところですが、細かく書くと面倒なのでそこは買って読んでいただきたいです(丸投げ)。

読み終わってふと最初の『氷菓』にある「ベナレスからの手紙〜伝統ある古典部の再生〜」を思い出しました。Who does it ?(誰がやったか)ではなくてHow does it ?(どうやったか?)を問う物語でした。オチだけを言えば「そんなことか」と言いたくなるかもしれませんが、奉太郎の推理力には舌を巻きます。解を見出した契機は偶然によるものですが、その偶然も「心当たりのある者は」と同じように事実を明かすのが目的ではなく推論で重み付けをして理屈をつけるためにあったという「古典部」シリーズのオーソドックスなお話で、原点に立ち返ったようで大変面白かったです。

「長い休日」

 いやに活動的(曰く調子が悪い)な奉太郎を通して彼の信条である「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」が如何に生まれたのかという奉太郎自身の過去を交えたお話です。

 奉太郎はある日、偶然居合わせた千反田えると十文字かほの家の掃除を手伝うことになる。そこで彼は小学校での係を共にしていた女子が自分に仕事を押し付けていたこと。また、それを担任が知りながらも見てみぬふりをしていたことを通じて、要領よく立ち回り人に面倒事を押し付ける人間と気持ちよくそれを引き受ける人間がいることに小学生で気がついてしまったことを語ります。同時に自分が後者であったことを自覚してしまいます。それ自体は良かったとしながらも、自分が便利に使われていたことで

お互い様だから手助けしようと思っても、相手もお互い様だと思ってくれるとは限らない。感謝して欲しかった訳じゃない。ただ、ばかにされるとは思っていなかった。(中略)ただ、つけ込まれるだけは嫌だ。

と姉に打ち明け、間違っていないと言われるのと同時に「長い休日」に入るのだと告げられます。その回想が終わり、拗ねてるうちに引っ込みがつかなくなっただけだという彼に対し、千反田はそんなに変わっていないんじゃないかと言います。そして彼はそれを笑い飛ばすことができなかったと独白します。

 奉太郎の過去を振り返るだけではなく、彼のモットーと相反する数々の行動を裏付けるようなストーリーで得心のいくお話でした。改めて折木奉太郎というキャラクターがしっかりと固まったように思えます。それに最後の「―きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから」というのがえるへの恋心を自覚した奉太郎を知る読者としては気持ちいいですね。

「いまさら翼といわれても」

 表題ともなっているタイトルのお話。合唱コンクールから姿を消した千反田えるを巡る物語です。奉太郎は一体、彼女が何を想いなぜ姿を消したのかを古典部の部員の力を借りて推理します。その果にあった、聡明な彼女を突き動かしたものとは何だったのか。

 タイトルを作中で回収する作品はやっぱり素晴らしいですね、それが流れの最後にあるとぐっと惹かれるものがあります。このタイトルだけで分かる人にはわかってしまうのかもしれませんが素晴らしい内容だったと思います。このお話はえるの「いまさら翼といわれても、困るんです。」の一言に凝縮されているでしょうね。彼女は千反田家の当主になることを過程はどうあれ覚悟し、また将来足る人間であるようにと努力していた事はこれまでのお話の中で十分に周知されています。籠の中の鳥とはよく言うもので外の世界を知って、希望に溢れるお話や展開というのは何度も目にしてきたような気はします。ですが、今回のお話のように具体的に解決策もなく、受け入れるに受け入れられない、受け入れたくないという後味の悪い幕引きで終わったのはなかなか無いと思います。もちろん、このあとも地続きでお話が続く続くというのはあるわけですけど。米澤先生の醍醐味みたいなのを感じますね、この後引く悪さや先の見えない幕引きは。

 それと「古典部」シリーズは読んでいると、毎回過去に自分が遭遇した出来事を感覚ではなく言葉で理解できるようになった気がします。理由はわからないがもやもやする、どこかが解れているがどこだか分からないといったまとまりの付かない感情に近い思い出が、文を読んでそれがヒントとなってパズルのように組み立て直されていくという感じ。すごくフィーリングな感想です。今回だと里志が言っていた「負けてやるのは構わないが『負けました』と言わされるのは気が進まない」というところですね。

 愚痴になりますけど、ちょっと前に仕事の代打を誰にするか、主に私ともうひとりの同期でモヤモヤしたことがありまして。詳細は長いし愚痴なので省きますが、私は割と善意で仕事をはいはいと引き受けますけどそれを強制されるのは非常に不満であるし納得がいかないという点で里志の言葉が響きました。引き受けた結果、自分が苦労するのも大変なことになるのもそれはそれで構わないのですが、それを善意と言う形で強制されるのは結果が同じでも経路が違うので非常に腹立たしいのです。そんな理解みたいなものを「いまさら翼といわれても」で得ることができ、非常に良い読書体験でした。

 間が空きましたけど、これで読書感想文もどきはおしまいです。次の更新は鶴見線沿線散歩録になると思います。また「古典部」シリーズ読み直そうかしらね。