等身大の箱庭

おはようございます。よく寝られましたか?

2022/8/11

 今日は回顧するためではなく、ゲームでのやり遂げた感をご報告するためにブログを書く。皆さん、ELDEN RING | エルデンリングやっていますか?つい先日もアップデートが行われてますよね。そんな中で私はやりました、やりましたぞ!

 Demon's Souls | ゲームタイトル | PlayStation (日本)をトロコンしました。ELDENRINGじゃないのかって?大丈夫です、トロコンしてます。

www.playstation.com


 デモンズソウルは2009年に発売されたPS3アクションRPGです。ゲームとしても「ソウルライク」と呼ばれるジャンルを拓いた作品の一つです。これをPS5で再表現させたのが、デモンズソウル リメイクに当たります。グラフィック面の強化だけではなく、新たなやりこみ要素も加えられた温故知新とも言えるようなゲームです。

 本題に戻ってなんでデモンズソウルの記事である理由は2つあり、①「エルデのあともフロムゲーに触ってほしい」「新たに蘇ったソウルライクを楽しんでもらいたい」と思ったからです。

ボリュームある踏破感が丁度いい規模のダンジョンで実感できる。

 5つのダンジョンは3~4の階層に区切られ、フロアボスを倒すことで先に進むことができます。ダンジョンは独立しているので、ボスを倒せないから先に進むことができなくて詰むことはまずありません。(最初のマップ深部にのみダンジョンボスを条件にしたエリアがあります。)自分の実力や倒しやすいボスを相手にして、強くなることで更に進むことができます。

 それでもダンジョンの数は5つと限られていて、各フロア数も多くありません。しかしこのゲーム、各フロアへの移動拠点はダンジョン開始地点とボス部屋のみです。ダンジョン内での移動は休憩ポイントなしで、敵がひしめく中を渡り歩くことに他ならないのです。

 敵をなぎ倒して、ようやくたどり着いたボス部屋ではあえなく負ける。一度通った道でも、ボスのことを考えていて道中に倒される。「そりゃないだろ」と思いつつまた道中でやられての繰り返し。小さいフロアだからこそ攻略方法を見出しながら、ボスを討ち取ったときは快感です。原初であり原点のデモンズソウルは、丁度よい規模感での踏破をダンジョンで実現しています。

 

攻め甲斐のある攻撃と一体になったプレイ感覚

 デモンズソウルをプレイしていてまず思ったのは、既存のソウルシリーズと比べれば敵がずいぶんと柔らかいことです。雑魚が柔らかいのはだいたい同じですが、ボスは本当に柔らかい。弱点を適切に突くことで、より実感することができます。通常攻撃が、エルデンリングでの出血ダメージを与えている感覚に近いです。弱点をつかなくても与えるダメージは、HPゲージを大きく削っていてガンガン攻めることが自ずと有利になります。もちろん、向こう見ずな攻撃はカウンターや予備動作からの大ダメージを貰います。

 またデモンズソウルリメイクはPS5専用コントローラーから、従来の振動とは異なる触感のフィードバックを受けることができる。例えば、右手で武器を振り壁にあたった際は右側からの振動が。エンチャントを行えば細かな振動が発生し、敵の行動によっても振動や音が発せられます。これはPS5専用ゲームソフトでしか体験できないものです。

 本当のことを言えばこの機能、やり始めた当初はプレイに集中できず切っていました。震えたり音が出たりという感触が、集中を乱すように感じたからです。もちろんプレイ自体に慣れたから再びonに戻したという側面は否定できない。それでも触感的フィードバックは攻撃するときの感覚と重なることで、よりゲームへの没入感に寄与しています。なによりサラウンドで臨場感を作り出すことを訴求するならば、指から伝わるダイレクトな触感が訴求力になるのはおかしな事ではないはず。

 

 2点ほどいいことを書きましたが、もちろんイマイチだなと思ったこともある。(主にプレイヤーソウル傾向に関連するシステムですけど)この記事はデモンズソウルをプレイしてほしいと思って書きなぐっているので、楽しみを壊すようなことを詳しくは書きません。プレイしてどう思うか考えてみてほしい。

 

 トロコンだけで言えば、1キャラ目の3週と1/5+2キャラ目の2/5ぐらいでやり遂げてます。2キャラ目はオンラインでの協力と侵入が絡むトロフィーがあって、そのためだけに低レベル帯マッチのキャラとして作成した。侵入は場所によっては入りやすいが、協力は発売から日が経っているので諸々の都合で侵入より運要素強め。平日の午前なんかで海外サーバーにしておくと、海の向こうでやってる人に会えるかも?私はそれで拾ってもらえました。

 残るはソウルシリーズ3部作だが、いつやるかは未定だけど1だけは安かったので買ってある。一旦デモンズは終わらせて、再びエルデンリングに帰って祈祷キャラで使って協力と侵入で遊び倒したいと思います。それではアンバサ。

2021/3/24

父親が大動脈解離で他界して今日で一週間になる。もう一週間が過ぎたと言うべきなのかもしれないが、正直よく分からない。父親が亡くなったその日は、あらゆることが押し流されて進むような日だった。ICUで管という管に繋がれて、段なら鳴っている人工弁の開閉音が聞こえてこなかった。もっとも、これは妹が最初に気がついたことで、そんなことにすら気が付かないほど頭がいっぱいだった。夕方頃には既にセンサは0を示しながら、微弱な動きが見える程度にまで落ち込んでいた。病院はまだ動いていることを理由に、ECMOまで使い延命措置を継続してくれていた。それでも身体側にも限界はあった。

心臓は倒れてから運ばれるまでの凡そ45分、止まっておりそのダメージはとても大きいものだったそうだ。大動脈解離は手術を施しても生存率は五分五分、仮に生還しても全身に麻痺が残るのは避けられないものだった。父は僧帽弁閉鎖不全、腎臓がん、数年前には脳出血と経験しており、特に脳出血は、半身麻痺の後遺症が残った。身体中にメスをいれながらも生きていた。母は病気のデパートだなどと笑っていたが、これ以上は忍びないということで延命治療は断ったそうだ。機械の警告音だけが時間の進みを教えてくれるが、幾度と鳴るその音も間隔が短くなり、脈拍の数値は比例して落ち続けていた。自分自身も断続的に鳴る警告音でどうにかなりそうだった。0を示し動きも見えなくなってどれだけ時間が経ったか分からないけれど、先生が現れて死亡確認が行われた。最期は、生きているのか生かされているのかわからないような状態だった。

ICUで泣いたのもつかの間、父親の葬儀の手配をしなくてはならなくなった。人生に1度か2度しか経験しない出来事をこんな状況下でも、やらざる得ないことには「クソイベだろ」と思ってしまった。そこからは母と妹と葬儀の規模を相談し、手探りで葬儀会社を探しケアや安置所への搬送を依頼して、通夜告別式などの段取りを考えながら進めていたら7時間ほどがあっという間に過ぎていた。他界するまでは覚えていても、その後のことは本当に朧気にしか覚えていない。しなければいけない手続き、手配しなければいけないものは忘れずにいられる。仕事のおかげだろうか、あらゆることが襲いかかってきて押し流されるような日だった。

もっと書けることはあるんだけど、ちょっとしんどいし明日の仕事に響きそうだから気が向いたら書く。ここまで書くと身バレしそうだな。

2020/12/28

前回より半年が過ぎてました。プライベートでは死ぬほど馬鹿なミスばかりをして落ち込んでました。それはさておき今年の振り帰るためにブログを書こうと決意したら、何か2日後になってました。決めたことはやらないと締まりが悪いので書きます。膝の上で猫が暖を取ってますが書きます。

最も力を入れたのはデスク周りです。今年の2月に実家を出て、念願だった自分専用のデスクトップ環境を手に入れることができました。 f:id:tsukumoya99:20201228102857j:plain

www.lenovo.com

TwitterではRyzen搭載で、コストパフォマンスと性能面で話題になったやつ。私が発注したときは混み合っていたので納期が結構ありましたが、今はそうでもなさそうですね。今買うなら後継機のThinkCentre M75q Tiny Gen2 | 小さなボディでパワフルなパフォーマンス | レノボジャパンがいいと思います。

ウルトラワイドモニターは友人からのすすめで買いました。非常に満足度が高くこの先死ぬまで、ウルトラワイドモニター以外を買うことはないと思います。プライベートでは、ブラウジングとブラウザゲーを別ウインドウで表示しても狭いと感じることはない横幅の広さが魅力です。f:id:tsukumoya99:20201228082914p:plain画面内でTweetDeckのカラムのようにウインドウを扱えるといったらわかりやすいでしょうか。リフレッシュレートは75HzなのでFPSとか対人には向きませんが、DETROITやSEKIROといったPS4のゲームも問題なく動きます。仕事ではベゼルのないデュアルモニターのような感覚で使っています。リモートワークのほうがやっぱり環境も揃っているので、出社するより楽ですね。

スピーカーは機能性よりデザインで選びました。これを持ってる人は結構いそうなのであまり書きません。ただケーブルの取り回しが面倒だなぁと思ったので、値ははりますがBluetooth対応モデルのほうが良いかもしれない。

無線接続なのでケーブルの煩わしさがないというのが一番良かった。ケーブルで見た目と自由が損なわれているのが非常に気に要らないので、買ってよかったと強く思える製品です。PC周辺機器はワイヤレスに限りますね。使用感を序にいっておくと打鍵感は独特だと思いますが、プログラマーでもないので気になるほどではない。打鍵音はすごい静かです、パチパチと言わずスコッスコッという音で職場で使ってもいいかなと思う。

マウスはプライベートと仕事用二通りです。G304はマウスパッドと併用してます。MX Master 3は誕生日プレゼントとして頂きました、改めてありがとうございます。G304はマウスの移動速度(?)をボタン調節可能で、手の小さい私にとっても程よい大きさかつ軽量なので扱いやすくて助かっています。おかげでグラブルのマルチでアビ早押し競争にも役立ってます。側面のボタンで戻る・進むもできるのでリロも可能で便利なんですがたまに反応しなくなる。

MX Master 3はホイール最高、仕事だとEXCELを扱うことが多くズラッと並んだ納期や発注日を管理する都合があり面倒だなぁと思ってました。またプライベートでは軽量な方が良いんですが、仕事だとしっかり操作したいのとホールドした感覚が欲しかったので非常にありがたい。Logicoolの製品なので1つのUSBポートを使えば、キーボードとマウスを両方扱えるのも良い。前まではマウスとキーボードをとっかえひっかえしてました。あと単純に美しい工業製品って良いですね。

一番書きたかったやつです。モニターアームは漠然といつか使いたいと思っていました。しかし、デスク買った当時はそんなこと忘れていたので壁板のあるタイプを買ってしまっていたのです。一時は分解して壁だけ取り外そうと思ったりしたのですがあまりに組み立てが面倒なのを思い出し断念。なので、「場所がないなら作ればいいじゃない」ということでモニター台を追加してそちらに取り付けることにしました。モニターアームはamazonとergotoronで悩みましたが、値段にさほど違いはなかったのでergotoronのものにしました。組み立ては簡単ですが関節部分が硬かったりして大変でした、モニタを180°回転させるところなんかは特に。注意としては画面背後にケーブルを水平に挿すタイプのモニタは、VESAマウント部分と干渉することがありそうです。

使用感は「やっぱ中に浮かばせるって素晴らしい」の一言に尽きる。モニタースタンドのフットプリント(モニターの足部分をそう呼ぶらしい)は存在感が有って邪魔だった。これをアームに変えたことで一本の柱だけになりスッキリとさせることができた。アーム導入前はモニターの位置が低く前のめりになっており。画面にも目が近いという問題を抱えていました。ですが可動もフレキシブルでヌルヌルと引き出したり、上下に移動させることで解決できた。また高めに設定して背筋を伸ばしたり、下げることで強張らない姿勢で映像を見たりと自由度も増した。バラつきがちなケーブルがアームの中に収納できるので、見た目もまたスッキリとさせることができた。精密機器は壊れてもアームは1つ買えば末永く使えることから買ってよかった、PC使うならご家庭に一本のレベルで必需品なのではと思う。

モニター台はいろいろな種類があったんですが、高さ調節がアームと台で行えたほうが自由度は増すので調節が効くものを選びました。以前は出っぱなしだったキーボードや使ってないマウスを収納したりしてます。視界の中に物が入らないことで、これまたスッキリとして作業スペースもある程度確保できました。どうしても完全にはワイヤレス化できてない周辺機器のケーブルなんかも覆い隠すことができます。地味にマグカップなんかも入れておくことで、不意に手が当たり零すということもなくなります。 f:id:tsukumoya99:20201228103000j:plain

年の瀬の一番力を入れたデスク周りの紹介でした、みんなも買おうウルトラワイドモニターとergotoronのモニターアーム!

良いお年を。

2020/5/17

こんばんは、なんと6ヶ月ぶりです。驚きですね。その間に引っ越しとか色々してたら、世間がコロナで騒いでてハチャメチャになってるとか半年前では考えられなかったね。

これは猫です、可愛いね。甘え方が強火で威厳がないです。f:id:tsukumoya99:20200517202939j:plainf:id:tsukumoya99:20200517203043j:plain

前置きはここまでにして、stay homeで暇なので新しいゲームを買った。

ec.nintendo.com

2D横スクロールアクションゲームです。見て分かる通り、全場面が古式ゆかしくも美しいドット絵で構成されています。簡略化して言えば、ストーリー性の高いスーパーマリオです。

どんな物語かというと以下の引用の通りです。

~ ストーリー ~ 国を分かつ壁が一夜で建てられたかのように突如出現し、ある男を家族から引き離した。家族に再び会うために、主人公である赤毛の男は政権が放送するテレビ番組「ウォールショー」で勝ち抜き、壁の向こう側、自由の世界を目指そうとするが… ショーが進むにつれ、主人公は政府とショーの主催者が何を求めているのかに気づいていく。約束された「自由」とは、自分の求める「自由」ではないのかもしれない…

気がつく人は気がつくかもしれないし、ページにアクセスした人は簡単。ジョージ・オーウェル著『1984』をオマージュした作品になります。金字塔的作品だろうけどジョージ・オーウェルを知らなくてもいいし、『1984』を知らなくても大丈夫。みんな大好きディストピアな世界観なんだと理解できれば十分。

このゲームの醍醐味は、周囲をよく見回すことにあります。ゲーム内では、世界を取り巻く環境について多く語られることはありません(もちろん、それがどういうことを指し示すかは明示的ですが)。主人公を取り巻く登場人物、看板、アート等なめらかに差し込まれる情報が必要なことを教えてくれます。自ら読み取っていく面白さ、趣向を凝らした小説を読んでいるかのような感覚にこそ楽しさであると思います。

世界を知るためにも目を凝らして、クリアするには注意深く読み取っていく必要があります。主人公は様々なステージを"踏破"していきます。ときには足を滑らせ、警官に殴られ、焼却炉に落ち、放射線を浴びて死にながらです。主人公への死のギミックが全編に渡って仕組まれています。これらを如何に解除し、避けていくかに知恵を絞ることにもまた謎解きのような面白さがあります。

主人公は至って善人であったし、突如として家族の仲を引き裂かれた哀れな人間でした。プレイヤーは彼を操作する中で様々な解除ギミックを行います。時にはおよそ良心の呵責、倫理というものをかなぐり捨ててまで。プレイしている自分も「おいおいマジかよ」と思っていたのに、途中まで来ると「まあ仕方ないね」と変わってしまっている。そんなことにすらプレイ中は気が付かないんです、まるで主人公のように。そういった没入感もあって総評としては買ってよかったなと思います。クリアまでに8時間程度、難易度は簡単でやりました(普通もあるよ)。

楽しいところばかり書いてましたけど、惜しいと思うようなことも多々あります。一番は操作性が良くないこと。

慣れるまでは結構シビアだと思います、ドット作品であることの功罪みたいなもんです。それに慣れた後でも手こずる場面は片手で足りるぐらいとはいえどありました。解法は分かっているのに、シビアな操作が要求されてなおかつ解法の工程が長いとか。おかげでちょっとした操作ミスを挽回できずに敢え無く「」ってのがあります。ミスはミスなのですが、もうちょい操作性が良ければと思うのがちらほら。SEKIROやってて諦めへの耐性がついた気がしてます。SEKIROに感謝、みんなも買おうSEKIRO、おはぎは大事。

話はそれますがsteam版も配信されてまして、そこだとロードで暗転するのが鬱陶しいとレビューにありましたがSEKIROのお陰か気になりませんでしたね(まだSEKIROのこと喋ってる)。実際にやってると解法のことを考えてるとあっという間ですし、switchだと本当に気にならないと思います。落ちやすいってのもsteamでみましたが、これもまたないです。プレイ中落ちることはありませんでした、Minecraftのほうがよっぽどひどい。動作テストしてるのかとさえ思う程度です。

次に惜しいのは、世界観に関する情報が乏しいかなと。散々、煽っておいて何いってんだこいつってのは重々承知です。個人的に6割ぐらいの世界観はつかめましたけど、これは『1984』を読んだことがあり骨子がつかめているからだと思います。ここで注意しておきたいのは、世界観をどれぐらい掴めたかという話であって、このゲームが面白くないという話ではありません。ディストピアという世界に興味を持った程度でも十分にゲームとして楽しむことができます。世界観が掴めないとか何とかはオタクの病気みたいなもんで、概念とかすぐ言い出したい感じの奇病を患っているだけなので本当にゲームの面白さとは何も関係がないです。

世界の謎を解き明かすとまでは行かないまでも、もうちょっと情報を公開していてくれても良いんじゃないかと思います。放映省のオマージュ元である『1984』の真理省のように、世界はもはや定かですらないということまで含めてリスペクトを示しているのかもしれません。そう考えると納得がいくような感じもします。

総評としては面白いゲームですし、お値段もそうお高くないインディーズなので片手間に遊びたいという感じで買うには持ってこいではあります。エンディングもマルチでありますし、トロコンの要素も含んでますのでどうぞこれを機にお買い求めください。

「よい放送を!」

自分のことを好きなだけ話す

今日は

自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2019 - Adventarのことについて綴ります。

お久しぶりです、4ヶ月ぶりです。書くネタは有り余るほどだけど、書く気力がないので放置してました。東京都庭園美術館で撮った『エルマ』のような写真を載っけた記事を書こうとした過去の自分はどこに。それ以外にも彼女とディズニーにいったり、仕事の意味わからん人間関係や政争に巻き込まれたり、Re:ゼロから始まる引き継ぎ業務みたいなことが目白押しでした。なお、現在進行系で何もわからん、俺たちは雰囲気で売上を計上している状態です。

本題から逸れました。今回は自分が日頃、どういうことを考えて生きているのかに焦点を当てて書こうと思います。この日が確か26歳の誕生日なので、すきあらば自分語りを今回ばかりは好きということにして書いていきます。

皆さんはなにか考えて生きてますか?私はほぼ何も考えてません。今日の晩ごはんはなんだろうか、噛んでしまった唇が治らなくて塩っ気のあるものが辛い、光の無銘金重を作るためにアスタロトぶちのめさないと行けないetc...そんな他愛の無いことを思って生きています。

思えば就活してる頃から目的意識とか、行動に対する確固たる理由というのが浮かばなかったり、そもそもそんなものはないということが非常に多かったです。もちろん得たい結果のために動くことはあります。しかし、どうしてそんなことをしたのか?どうして思ったのか?という点に関しては、薄ぼんやりとしたものしか浮かんできません。そんな常に割とふわふわっとした感じで生きているんですが、思考の起源に対して思うことはなくても「これだけは守って生きていこう」と考えていることが何個かあります。

[自分の機嫌は自分で取る]

まず1つ目です、読んで字の如くです。人間は基本気分屋です、体調の良し悪しもあれば気分の浮き沈みももちろんあります。そればっかりは強弱あれど生来的に会得している機能なのでどうしようもないです、諦めましょう。

それでも、自分の機嫌を他人にとって貰うことで自分を宥めすかすのはやめようと思っています。宙船です。そうでもしないと、自分で自分をコントロールできない化け物みたいな自我が出来上がってしまう気がします。これは前職で社会人になって得た気づきの一つです。

前職は当直勤務があったので、夜勤になると必然的に職場で朝を迎えることになります。その頃の上司の一人が大変に寝起きが悪く、「おはようございます」の挨拶しただけで睨まれるような感じでした。別に気性が荒いという訳ではないのですが、とにかくいつでも機嫌が悪い。終始機嫌が悪い、良いときといえば別の先輩と特撮とスパロボの話をしているときだけみたいな感じでした。そんな人に会ったのは初めてだったので、こんなに自分で自分をコントロールできずに周囲に恨みを買うことだけはしないようにしようと思ったのがきっかけです。

このこと自体は案外、無意識でやってる人が多いのかもしれません。タバコや甘いもの、少し体を動かす等々。しかし、自分で意識するだけでも結構違うのかなと思います。機嫌を良くするための手法を確立するということにも繋がりますからね。でも最も大きいのは自分で自分の認知をするという工程を生むことで、自分が何に対して苛立ちを覚えているのかという理解にも繋がります。

仕事方面の話になるんですが、やっぱり自分だけじゃ終わらせられない、あるいは熟せないようなサイズの仕事って大抵降ってきますよね。じゃあそれを分担しようみたいな時に自分が依頼する側だったら、自分の負担が少しでも軽くなることを期待しているわけです。うまく行けばいいんですが、うまく行かないときには大変なストレスです。軽くするために依頼してんのに、尻拭いになって一人でやったほうが楽だったんじゃないかとかザラですよね。

そんなときに自分で機嫌を取れるようにしておくと、期待しすぎたのかなとかちょっと重かったかなとか考える余裕が出てきます。私はその手のことが起きると「まあ、頼んだことだし俺がやってないんだから仕方ないか」程度に思える様になりました。諦めとか諦観みたいなものにたどり着きます。

私は言うのも難ですが結構生真面目で、キッチリカッチリみたいなのをよく好みます。ただこれは欠点があって、自分の思うどおりに事が運ばないと大変に苦しい思いをします。その日寝るまで引きずってイライラしているとかが普通でした。それでもなるべく、自分の機嫌をどう取るかを考えて生きるようにしたらちょっと楽になりました。諦めることも大事で、そっから仕切り直してやっていくほうがイライラを抱えながらやっていくよりだいぶマシになることが多いです。諦めただけという見方もできるでしょうが、結局未練たらたらで後生引きずるから卯建もストレスも抱えっぱなしなのであって、諦めてリセットというのは非常に有効だと思っています。

[何事も中庸で]

やりすぎは良くないということです。やりすぎたなと思ったら一歩引いてみて相手の出方を待ちましょう。私は人に何かを教えるとそれとは全く逆のことが正しかったりすることが多いです。なぜなら、自分の信じられる確証だけで結果を導き出しているからです。要は正しい知識を持っていないから間違うわけです。だから、0か1というより当たらずとも遠からずみたいなスタンスや考えで挑むようにしています。人に間違いを教えて導くようなことをするなら、答えないほうがマシだと思います。あるいは答えの50%ぐらいあたってればいいと思います。やりすぎて取り返しが効かない、中途半端でもリカバリーさえ効かせればいいんじゃないか程度で生きてます。

[他人の不寛容にも寛容に]

ある種の開き直りに近く「お前がそう思うならそうなんだろ」と言い返したくなるような出来事も、「そう考える人もいるんだな」と自分に言い聞かせるようにしているときの信条みたいなものです。自分と他人を峻別するときの言葉でもあります。

生きてりゃ許せないことも許せる程度のこともあろうかと思います。その許容できるかは出来ないかは、自分の価値基準に照らし合わせた結果から生まれてくる。自分は他人と違うものなのだから社会通念というものはあるにせよ、隅から隅まで価値基準の何もかも違うということは大いに有り得ることじゃないかなぁと。事実、自分と相手との埋まらない差を感じて、全く話が噛み合わない意見とかインターネットに多くありそうですよね。Twitterにお気持ち表明とか流れてきてイライラするのは、これに似たような感じじゃないかと思います。

その気持を完璧に受け取る必要はないにせよ、自分の中で相手の意見を角を落として丸い状態にして、ぶつかっても痛くない(=イライラしないような)状態に落とし込むための工程という感じです。本当はもっと進化してその相手の意見をもっと理解できるようになれればいいんですけど、わざわざそこまでして色々考えを受け取りたくはないので有るんだな程度で済ませようという話です。これも最初に書いたことに似てますが、諦めとかそういうのに近いです。完全に分かり合えるなんて端っから思っちゃいませんので。

長々と文章を書きましたが、もしかしたら世間一般の方は意識せずともできるのかもしれないと書いたあとに思いました。もしそうだとしたら凄い。私はこれぐらい適当に妥協して諦めた感じでやっていかないと、生きづらくて仕方ないです。そうでもしないともっと厳密に、緻密にという方が自分にとって最も性に合った生き方なんですが世間で生きていくには肩に力を入れすぎた感じになってしまうみたいなので。眠いながらパチパチ打ってたので誤字脱字があると思いますが、これでおしまいです。読んでくれた方、企画してくれたしゃみに感謝を。次はフォロワーでもあるN0myaさんです、どうぞお楽しみ。

2019/8/4

とにかく暑い、日本の夏はここまで暑かったか…?思い出が毎年のように美化されていく感覚を味わう、夏 in the Summerです。書くといったから鶴見線沿線を歩いた散歩録を書きます!向かう先は大川支線の大川駅武蔵白石駅を経由して徒歩で向かいます。

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 3回目ぐらいの登場、浜川崎駅の蔦に飲み込まれた車両君。好きなんですよね、都市の空間にあって打ち捨てられてしまった退廃的な様相が。

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 駅を降りてすぐ左手にある鉄塔も個人的に浜川崎を代表する風景だと思います、曇っている中で赤茶け錆びてしまった構造物がよりノスタルジックな雰囲気にさせてくれます。

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 私は定期券内の川崎駅から南武線を経由して浜川崎駅に来るので、鶴見線浜川崎駅で降りたことはないしむしろ鶴見線には乗ったことがない。なのに鶴見線沿線を歩いてる、今にして思うと奇妙ですね。奇妙ついでに職場で鶴見線沿線を散歩するのが好きと誇張なしに言うと、「どうしてそんなところを?」と怪訝な顔をされます。ええやろ土日の人のいない工業地帯は…!

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 私の記憶の中にはないし、生活圏内にはない切符入れ。なんでだろう?懐旧の想いに囚われてシャッターを切りました。

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小田七丁目公園付近より大川駅方面を望む、案外箱車とかの往来が多くて驚き。

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好き!!!!!!!!!!!!!!(大声)(他に言うことはあるまい)

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手入れの手の字もないような公園、白石町にありました。ここに来る道中に紀文の物流センターがありました、こんなところにあるのね。

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昭和駅方面ですね多分、目立つからよく分かる。

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f:id:tsukumoya99:20190804080450j:plain 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』的なやつ、この根本付近に花が咲いていて無機と有機の対比っぽくてよかったです。

大川橋とプラント達、運河のある風景は落ち着く。これが見たくて散歩してると行っても過言じゃないですからね、じゃなきゃ新木場とか歩きませんて。(過去の東京ベイブリッジの記事を読んでくれ)

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そしてここで一つ、謝罪がありまして…。この後、大川駅にたどり着いたんですけど写真を取り忘れました!!!!!しかも撮るような写真もなくて

f:id:tsukumoya99:20190804081453j:plain これ以外の他の写真もないです…過去の名残っぽくて撮ったんですけど他のはないです。申し訳ございません。感想だけ言うと企業の密集地だなぁという感じ、大川町産業会館とかあるんですね。これだけなんか浮いてた感じです、他の似たような地域だと「地帯」でこそあれど「町」としての盛り上げ方をしようとしている感じはなかったので珍しさがありましたね。

そんなこんなで大川駅散歩を終わらせて、昼を麺屋 玉で済ませて浮島町へ向かいます。

なんで浮島町なのかというと行ったことがないから。過去にも書きましたが殿町の多摩川河口水位観測所まで行った際に「浮島町は高速使わんと入れんか」思っていたのです。よく考えれば「高速出入りしないと駄目な場所の通勤ってなんだよ」と思うところですが、私が多摩川沿いの方を歩いていたので6号川崎線のほうを見落としていてバスありました…。そんなこんなで臨港バスに揺られて花王前で降ります。

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そして基本この風景が延々と続きます、距離にして2.5km 思ったよりはないですが、流石に飽きるものが…。f:id:tsukumoya99:20190804082935j:plain

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それでも土地に生えるようなプラントやら大型の空調施設やらを道中に楽しむことができます。

そして到着したのが

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そら(ここまで歩いてきたら)、そう(健康になる)よ。川崎の果にある公園の一つです。健康の意味を問いただす物語です。

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例に漏れず羽田空港が隣なので飛行機の離発着が見れます、写真撮ってる人もそこそこいましたよ。晴れた日だともっといそうですね。近くには海釣りの施設もあってこっちは相当賑わってました。端っこ行く途中で撮った施設、マリエンの方にも似たようなのがあったような気がする。

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そこからまた離れて、浮島町バスターミナル前の道を歩きJXTGエネルギー川崎製油所方面の端っこまで1.5km也。ここまで来るともはや疲れてきて写真を取る元気すらなくて、体を動かすのは端っこまで行くというよくわからん意思のみです。

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グオングオン音を立てて駆動する配管は良かったです、クソ暑かったけど…。この1.5kmの道はなんかもう無法地帯なのか、車バラしてる人とかプラモデル感覚で車を塗装してる人とかいました。警察もわざわざ来ないんでしょうねって感じで、悪い意味でKAWASAKI感強かった。帰りはバスです、もう歩きたくはなかった。

これで残る島は扇島だけですかね。これも徒歩で行けるのかなぁ…現時点で調べてないからわからん。とにかく手っ取り早そうなのはJFEスチール東日本製鉄所の社員になって熱間圧延部門に配属されることかな!!!!!

今日はこのへんで終わりです、次は旧朝香宮邸の記事だぞ!

 

2019/7/9

 寒いですね、我が家のお風呂も無事直って温水が出るようになりました。温水という文明に感謝することはこの先、当分なくていい経験です。嘘、温泉には感謝したいから毎日入らせてください。

いまさら翼といわれても (角川文庫)

いまさら翼といわれても』を読み終えました。「古典部シリーズ」の最新作です、発売自体は一ヶ月前でしたが見逃してて日曜日に買いました。

「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」夏休み初日、折木奉太郎にかかってきた〈古典部〉部員・伊原摩耶花からの電話。合唱祭の本番を前に、ソロパートを任されている千反田えるが姿を消したと言う。千反田は今、どんな思いでどこにいるのか――会場に駆けつけた奉太郎は推理を開始する。千反田の知られざる苦悩が垣間見える表題作ほか、〈古典部〉メンバーの過去と未来が垣間見える、瑞々しくもビターな全6篇。

紹介にも書かれているように「古典部」の部員に焦点を当てたのが本作です。読んでいて私が気になったというか好きなお話は「箱の中の欠落」「長い休日」「いまさら翼といわれても」です。ネタバレを含みますのでご承知おきくださいということで。

「箱の中の欠落」

 神山高校の生徒会選挙で起きた、生徒総数よりも多い投票総数というのが事の発端でした。あらすじをもっと詳しく書きたいところですが、細かく書くと面倒なのでそこは買って読んでいただきたいです(丸投げ)。

読み終わってふと最初の『氷菓』にある「ベナレスからの手紙〜伝統ある古典部の再生〜」を思い出しました。Who does it ?(誰がやったか)ではなくてHow does it ?(どうやったか?)を問う物語でした。オチだけを言えば「そんなことか」と言いたくなるかもしれませんが、奉太郎の推理力には舌を巻きます。解を見出した契機は偶然によるものですが、その偶然も「心当たりのある者は」と同じように事実を明かすのが目的ではなく推論で重み付けをして理屈をつけるためにあったという「古典部」シリーズのオーソドックスなお話で、原点に立ち返ったようで大変面白かったです。

「長い休日」

 いやに活動的(曰く調子が悪い)な奉太郎を通して彼の信条である「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」が如何に生まれたのかという奉太郎自身の過去を交えたお話です。

 奉太郎はある日、偶然居合わせた千反田えると十文字かほの家の掃除を手伝うことになる。そこで彼は小学校での係を共にしていた女子が自分に仕事を押し付けていたこと。また、それを担任が知りながらも見てみぬふりをしていたことを通じて、要領よく立ち回り人に面倒事を押し付ける人間と気持ちよくそれを引き受ける人間がいることに小学生で気がついてしまったことを語ります。同時に自分が後者であったことを自覚してしまいます。それ自体は良かったとしながらも、自分が便利に使われていたことで

お互い様だから手助けしようと思っても、相手もお互い様だと思ってくれるとは限らない。感謝して欲しかった訳じゃない。ただ、ばかにされるとは思っていなかった。(中略)ただ、つけ込まれるだけは嫌だ。

と姉に打ち明け、間違っていないと言われるのと同時に「長い休日」に入るのだと告げられます。その回想が終わり、拗ねてるうちに引っ込みがつかなくなっただけだという彼に対し、千反田はそんなに変わっていないんじゃないかと言います。そして彼はそれを笑い飛ばすことができなかったと独白します。

 奉太郎の過去を振り返るだけではなく、彼のモットーと相反する数々の行動を裏付けるようなストーリーで得心のいくお話でした。改めて折木奉太郎というキャラクターがしっかりと固まったように思えます。それに最後の「―きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから」というのがえるへの恋心を自覚した奉太郎を知る読者としては気持ちいいですね。

「いまさら翼といわれても」

 表題ともなっているタイトルのお話。合唱コンクールから姿を消した千反田えるを巡る物語です。奉太郎は一体、彼女が何を想いなぜ姿を消したのかを古典部の部員の力を借りて推理します。その果にあった、聡明な彼女を突き動かしたものとは何だったのか。

 タイトルを作中で回収する作品はやっぱり素晴らしいですね、それが流れの最後にあるとぐっと惹かれるものがあります。このタイトルだけで分かる人にはわかってしまうのかもしれませんが素晴らしい内容だったと思います。このお話はえるの「いまさら翼といわれても、困るんです。」の一言に凝縮されているでしょうね。彼女は千反田家の当主になることを過程はどうあれ覚悟し、また将来足る人間であるようにと努力していた事はこれまでのお話の中で十分に周知されています。籠の中の鳥とはよく言うもので外の世界を知って、希望に溢れるお話や展開というのは何度も目にしてきたような気はします。ですが、今回のお話のように具体的に解決策もなく、受け入れるに受け入れられない、受け入れたくないという後味の悪い幕引きで終わったのはなかなか無いと思います。もちろん、このあとも地続きでお話が続く続くというのはあるわけですけど。米澤先生の醍醐味みたいなのを感じますね、この後引く悪さや先の見えない幕引きは。

 それと「古典部」シリーズは読んでいると、毎回過去に自分が遭遇した出来事を感覚ではなく言葉で理解できるようになった気がします。理由はわからないがもやもやする、どこかが解れているがどこだか分からないといったまとまりの付かない感情に近い思い出が、文を読んでそれがヒントとなってパズルのように組み立て直されていくという感じ。すごくフィーリングな感想です。今回だと里志が言っていた「負けてやるのは構わないが『負けました』と言わされるのは気が進まない」というところですね。

 愚痴になりますけど、ちょっと前に仕事の代打を誰にするか、主に私ともうひとりの同期でモヤモヤしたことがありまして。詳細は長いし愚痴なので省きますが、私は割と善意で仕事をはいはいと引き受けますけどそれを強制されるのは非常に不満であるし納得がいかないという点で里志の言葉が響きました。引き受けた結果、自分が苦労するのも大変なことになるのもそれはそれで構わないのですが、それを善意と言う形で強制されるのは結果が同じでも経路が違うので非常に腹立たしいのです。そんな理解みたいなものを「いまさら翼といわれても」で得ることができ、非常に良い読書体験でした。

 間が空きましたけど、これで読書感想文もどきはおしまいです。次の更新は鶴見線沿線散歩録になると思います。また「古典部」シリーズ読み直そうかしらね。